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熟ロリ妻とエロ夫の私世界

40歳になるロリな熟妻〔白うさぎ〕を、心から愛するエロ夫〔白豚〕のブログ。

2010年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年08月

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【ワールドカップ☆ありがとう~企画】・代表コスでエッチ・その4

sirobuta100714a


Tバックって、美しいですよね。でもそれが、下着ではなく縄だったら…。

う、う、美しすぎる!! (〃∇〃) てれっ☆

いや、でもね、「美しい」とか「エロい」とか、そういうのは、本当に個人の主観なので、とっても難しい世界だと思います。ただ、「個人の主観」なんだから、自分が好きなら何でもいいっていうのは、やはり寂しいかなって思うんですよね。
例えば、それは夫婦の愛でも同じで、「愛している」ってい言っても、それは、どこまでいっても自己満足な世界だと思うんです。でも、自己満足な愛にならないように、常に相手を思いやる気持ちが必要なんだけど、それには、自分の中にある「個人の主観」に極力とらわれないようにすることが大切なんじゃ~ないのかなって思うんです。
自分の中にある常識や正義、価値観にこだわりすぎていると、他人の声が聞えない、目の前の現実を素直に受け入れらないっていう事になってしまうと思うんです。つまり、自分が愛しているのは目の前の相手ではなく、自分の中にある自分が都合よく認識し自分の中に作り出した虚像を、自分勝手に愛しているっていうことになりかねないと思うんです。
実際、僕と白うさぎの夫婦喧嘩のほとんどは、そうした事が原因です(笑) でも実際、世間の多くの夫婦喧嘩も、似たような感じなんじゃないのかなって思うんですけどね。相手のことを心から愛しているのに、その愛が何故かすれ違ってしまう…。

僕が写真が好きなのは、僕の中にある「個人的な主観」で、目の前の被写体を「客観的な現実」として写し撮ることができるからなんじゃないのかなって思っています。目の前の現実に対して謙虚にならなければ、他人様から共感してもらえる写真、他人様の心に響く写真は撮れません。もちろん、白うさぎにも認めてもらえませんし(笑) でも、そうしたプロセスが、人を愛するっていう行為に、似ているのかなって思ったりするんです。自分では気に入って撮った写真が、白うさぎに見せると、何がいいたい写真なのかよく判らないって言われることは多々あります(大笑)

でもきっと、人間って、本当はそれぐらいに不器用な生き方しかできないんですよね。

さて今回は、【ワールドカップ☆ありがとう~企画】の4回目です☆
熟女の玩具遊びが苦手な人は、見ないでね!! (*/∇\*)キャ
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| 室内撮影・下着&その他 | 19:50 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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